2018年 数時間前
2017年の大晦日。
2018年まであと数時間だ。
仕事が終わり家に帰り、年を越さない蕎麦を食べ、散歩がてら近所の白山神社へ行く。
まだ20時くらいだから人はまばらで、屋台も、やっているところとやってないところと半々だった。
これから2年参りの人が出てきて、忙しくなるんだろう。
浄火場からは、火の燃える匂いがする。
参拝をして「今年もお世話になりました」と挨拶をする。一応おみくじも引いて、末吉という私らしい運勢だった。
おみくじの内容より、裏面に書いてある「神の教」を読むのが好きだ。
「暖かい心を養い、よい言葉、優しい言葉で人を慰め、人をいたわり、明るい世の中を作りましょう。とげのある言葉は人をきずつける。」
最近何となく思っていた「言葉の選び方」とマッチしていて、神様分かってるなぁと言い当てられた感。
数日前からモヤモヤを抱えてしまって、そういう時は言葉が乱暴になる。
そして、そういう時は大抵、身体も疲れている時だ。身体と心、どちらにも支配されてはいけないなぁ。どっちも客観的に見つめてあげて、誘導してあげれるようになりたい。
(この辺りの考えは、最近はじめた瞑想やラージャヨガの影響だな。)
帰りに浄火場に立ち寄り、8年くらい持っていたお守りを係の人に渡す。
すぐ燃やしてくれる訳ではないらしい。ある程度、量が溜まってからのようだ。
それが火にくべられるのを見たかったけど、上に上にと燃え上がる炎を見ていたら、何だかスッキリした。
持っている理由も無くなっていたお守り。
ううん。多分、どこかで、これを手にした時の思い出にすがっていたのかも。
もう大丈夫だ。
あの時、一緒にいた人を、もう一度好きにはなれない。
やっと一区切りついた気がする。
さぁ、家に帰ろう。
明日は5時半起きだ。
この後、22時くらいに布団に入ってウトウトするが、除夜の鐘で起こされる。
あけましておめでとう。
ようこそ、2018年。